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もしものはなし。
2014. 2. 18先日はネットの番組、Brand-new Blood @ CROSS CAFEに出演してきました。
トーク番組ってのもおもしろいねぇ。
聞いていただいた方、ありがとう。コメントが会場にリアルタイムで届くから、たのしかったです。
来月で、京都に戻り、一人でやっていくということを決めて、3年になります。3年を機に、この3月、お知らせをしたいと考えています。
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「もしものはなし」
もしも今日がこの世界で
最期の日だとしたのなら、君は誰に何を伝えたい?
その身体その声で。限られた時間の中で
誰に会いにいくのだろう。
最期の手紙は誰に何を綴るのだろう。どうでもよかったことが愛しく思えた。
欲しかったものが全部色あせて見えて
好きじゃなかったこの身体を、手放すのが惜しくなった。灰色のアスファルト、崩れたワタシ
カラダのはしっこから欠けていく
灰になって風に舞って、はらはらと・・・
痛みもないまま、消えていく。目が覚めたら 誰もいないなんて
このカラダがここに無いだなんて、
君の未来にアタシがいないなんて
ありえない。誰かが言った。「これが最期。」と。
祈ったわ。
夢であってと。
薄れてく意識と呼吸の中で。
君の名前を呼び続けたわ。
目が覚めて、ここに欲しいのは、
変わらない、日常。時計の針が午前3時。
あらい呼吸の中で、目が覚めた。
私、夢をみてたみたい。
この身体はまだ、ここにあるらしい。君の声を聴きたくなった。
声をあげて泣きたくなった。
好きな歌を聴きたくなった。
ここにいたいと、強く思った。過ごした日々が記憶の底に、いつかは消えてしまうとしても。
きっと想いは、つながっていく。
この世界は幻じゃないや。
ここにいることが、かなうのならば、
君と命をつないでいきたい。繰り返す眠りのあとに、
目が覚めて、ここに欲しいのは
君のいる、日常。**********
3月は震災のこともあって、死ぬとか生きるとか、心に思い浮かぶことの多い時期です。
東京が揺れて、長くて、死ぬかと思った。
あの瞬間に亡くなったひとがたくさんいて、
その境目はなんなのか。
なぜわたしは生かされているのか、亡くなる人たちは亡くなっていったのか。
運命というものか、
運命とはなんなのか。
見えない力が私たちの生にかかわっているとしたのなら
それはきっととてつもなく残酷な力だと思う。わたしの友人や、家族は何を思って、どんな気持ちで、どんな苦しみを超えて逝ったのだろう。
なにを伝えたいと思っただろう。いろいろなことを考えてしまう。
それはわかるわけのないことだけれども。自分が死ぬ夢を見て、そのときのことを歌にしました。
もしものはなし。死ぬ夢をよくみるのは、きっと私は死を恐れているからだろう。
音楽で聴いてほしいです。
3月の10日には、すぐるのドラム、じゅんさんのギターでこの曲を演奏する予定です。